お風呂屋さんと裸の付き合いと慣用句と。
今日は小学2年生の息子とお風呂屋さんでした!!
フルーツ牛乳のないお風呂屋さんなんて・・・
銭湯名物のフルーツ牛乳は販売中止になっちゃってたんですね・・
と、今日はフルーツ牛乳の話をしたかったわけではなく、「お風呂屋さん」「銭湯」という存在についてです。
浴槽に入っていた時に、ふと我にかえったら、見渡すくらい30人ぐらいの人が裸でいるわけなんですよ。
それも全く知らない人。
全く知らない人なんですけど、銭湯って一人でも「さみしくない」んですよね。
なんだろう、お風呂で
身体が温まっているからなのか、心が温まっているからなのか、はたまた動いている人が見えるからなのか。
ただ、動いている人が見えるってだけだと、東京駅とか品川駅とかはめちゃくちゃ人がいますが、まったくさみしさがぬぐえません。
やっぱり昔から言う「裸の付き合い」なのでしょうか。
「裸の付き合い」「膝をつきあわせる」などの身体を使った慣用句って、逆に社会システムが1周して、本質を考えるヒントになるんじゃないかって注目しています!
息子とも家のお風呂は良く一緒に入っているのですが、
なぜかお風呂屋さんに一緒に行って裸の付き合いをしたことで、さらに心の距離が近くなったような気がしています。